僕がノート屋をはじめたワケ
家庭の事情で
一緒に過ごすことが少なかった父は
口数も少なく、気持ちを言葉にすることが
不得意な人でした。
僕は早くに家を出て、若くして起業しましたが、
仕事が順調に回りだした頃、
「悪性リンパ腫」という病気になりました。
疎遠とはいえ「ご家族を呼んでください」
というその告知の場面にさえ父は現れませんでした。
「まあ、そんなものだろうな」と
僕は悲しみより、父子関係をあきらめました。
その僕の入院中、父が突然亡くなってしまったのです。
脳内出血でした。
いつもの通り、床について翌朝には意識がなかったそうです。
退院して、実家に戻り、
父の部屋で遺品の整理をしていたら、
数冊の黒いノートをみつけました。
それは父の日記帳というか雑記帳です。
「今日何を買った」とか「誰と会った」など、
父の何気ない毎日が記されていました。
そこには僕の知らない父の姿がありました。
そしてその最後の数ページには
「今日から点滴始まる」
「電話の声は元気そうだった。」・・・、
僕の入院の様子が書かれていました。
感情は書かれていない、
淡々と記録のような文章でしたが、
父の心は十分に伝わってきました。
「僕は父に愛されていなかったわけではなかったのだ」
父が亡くなって20年が過ぎた今も、
あのノートを想い浮かべるだけで幸せな気持ちになることができます。
父はいないものと思っていたそれまでと、
父に愛されていたのだと知ってからの人生は大きく変わりました。
ただ日々を綴るだけでも書き残した言葉が
いつか誰かを励まし、
支えになるのだと気付きました。
言葉で伝えることができれば手っ取り早いかもしれません。
しかし多くの人はその想いのすべてを言葉にするのは難しいことです。
そして受け取る側にも時期があるのだと思います。
若い頃には理解できなかったことが、
ある年齢になって急に腑に落ちることがあります。
ノートはそれを静かに受け止め、
手製本美しいノート lleno
手製本美しいノート lleno
またはメールでご連絡くださいませ。
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・株式会社樹希社(タツキシャ)
代表取締役 神田樹希
1965年生まれ。
学生時代にプログラミング会社とイベント企画会社を起ち上げる。
卒業後、印刷会社で一年間、無給の丁稚奉公の後、
1990年準備室を立ち上げ、1992年面白印刷として印刷の企画デザイン会社を設立。
29年間で3万点を越えるデザインと商品開発、企画、店舗デザインに携わる。
大手出版社の外部編集者として2000冊以上の出版を手がけ、自社で300冊出版、100名を越えるインタビュー誌作成
12年目の4刷りとなりました